拳骨和尚の異名もつ傑僧 武田物外 1795〜1867
不遷流柔術開祖
参考文献:秋田書店『歴史と旅』/日本の名僧・高僧88人(1995)より
 幕末に生きた禅僧の中で仏道修行よりも寧ろ武術稽古に熱中し、各流武術を極めた後、遂に一つの武術流儀を開いた豪傑和尚がいた。拳骨和尚と呼ばれた武田物外であるが、武術修行の果てに会得した彼の怪力ぶりは正に驚異の一語につき、様々な逸話が残っている。寺の大鐘を一人で自在に運んだといわれ、また碁盤や柱に拳を少し当てただけで彼の手形や拳形がくっきりと残ったと伝えられている。新選組局長、近藤勇の真槍と立ち合い、行乞のための木碗二つを以て軽くあしらった話は余りにも著名である。近藤勇は天然理心流の宗家であり、京都の勤皇の志士たちを震え上がらせた天下の剣豪である。この逸話は物外和尚が単なる怪力の持ち主ではなく、武術者として大変な技前を持っていた事を表している。 物外は寛政七年(一七九五)に伊予松山に生まれ、十二歳のおり出家して広島中島町の曹洞宗伝福寺の観光和尚の弟子となった。そして出家した身でありながら何故だか武術に執心し、町道場に通って様々な流儀の武術修行に明け暮れた。学んだ流儀は大坪流馬術・宝蔵院流十字槍・山田流鎖鎌・難波一甫流柔術・武田流長鎌術などである。物外は元々天才的な素質の持ち主であり、忽ち仏典を読破し、武術修行においても十代にして難波一甫流の免許皆伝を会得している。儒教その他の諸学も極めた文武両道の傑物であり、まさに神童と称して良いだろう。
 広島における若き時代のエピソードとして、以下の様な茶臼山にての陣立て指南の話が伝えられている。物外が十五歳のおり、広島城下において武士の子供と町人の子供らが口論となり、日時を定め、茶臼山で勝負という事となった。物外は町人側に与し、町人の子供を指揮して刀、槍などの武器を集め、本格的な戦闘準備を成したというのである。しかしこれは準備が余りに本格的であったため、親に知れ、そして役人の取り締まるところとなり、茶臼山は調査さる事となる。検分をした役人は、物外らが武器を集め、火薬まで用いて二重三重の陣取りを準備している事に驚き、またその巧妙さに舌を巻いたといわれる。翌朝、物外自身を出頭させ尋問したが、「どの様にしてあの様な陣立てを考えだしたのか」という問いに対して「あれは太閤記実録を読んで考えだした」と即座に応じた。 この様な早熟の天才は、かくした事件故に寺からも体よく放逐されることになるが、それがある意味では物外にとって大きな転機となるのである。それから諸国行脚の旅に出てより深い、全国的な修行を成すこととなったのであるから。修行僧として全国を行乞行脚しながらも武術修行も怠らず、各地の柔術流儀、良移心当流・揚心流・天神真楊流・円心流・神道北窓流・戸塚揚心流などを学び、やがてそれらの極意を集大成した驚異の柔術、流を創始した。不遷とは物外の請である。この流儀は物外和尚が大成した柔術流儀であり鉢術技法を不遷流として教授したが、神道北窓流の棒術、武田流の長鎌術などの武器術はそのままの流名で伝承している。不遷流は物外が大成した優れた鉢術体系であるが、体系の奥には八流の柔術流儀の極意技がそのまま保存されているところに大きな特徴がある。禅坊主の大成した武術流儀であるが、流儀の文化的な部分においても何処にも仏教臭さがないのが面白い。諸国行脚の果て、仏道修行も武者修行も円熟し、三十五歳のおりに広島に戻り、尾道、済法寺の住職となり、そこで禅と武術の道場を開き、後進を以後四十年に渡って指導したのである。その寺の道場において驚異的な怪力をもって来たりよる武芸者を手玉に取り、また雨乞いその他の不思議な神通力を発拝する物外は「拳骨和尚」の異名を天下に轟かせた。慶応三年(一八六七)、七十三歳にて帰山し数奇な生涯を閉じるまで、かの地において数千人の門人を育てたのである。彼の創始した驚異の不遷流柔術は多くの門人によって継承され、中国地方における最古の流儀、竹内流と並ぶ大流儀となっていく。物外から三代目を継いだ田辺又右衛門は不遷流柔術で鍛えた腕前をもって上京し、当時新興勢力として興隆する講道館に乗り込み、講道館の強豪を手玉に取った話は明治柔道の裏面史である。しかし物外和尚が編んだ不遷流の技法、特に強力な組討技法は武徳殿を通じて次第に柔道の寝業技法として吸収されてゆくことになるのであり、その意味で現代柔道には不遷流の技が今でも立派に生きている訳である。また現在日本で行われる少林寺拳法の開祖の祖父は不遷流の免許取りであり、少林寺拳法にも不遷流の影響を窺う事が出来る。禅宗の開祖といわれる達磨大師は天竺拳法を伝え、少林寺拳法の開祖となったが、禅宗の末裔、物外和尚も多くの現代武道に多大の影響を与えた不遷流柔術の開祖となった訳である。不遷流の古典形は現在、岡山県津山市に継承され、物外和尚が編んだ見事な極意形、妙術を今の世でも垣間見ることが出来る。
(平上信行)